ゴルフコースへ行ってプレーをし終えると、反省しきりのやるせない時間が巡ってくる。
ほとんどは、タラレバの世界だ。あのときドライバーを無理に使わないで刻んでおけば、あのOBは無かったのに…………。
振り返れば、つたない自分の実力を忘れて、自分以上のレベルをむさぼり(貪)、怒り(瞋)、愚かさ(癡)の三毒に毒されている。
そればかりか、判断ミス、誤った見解(戒禁取見)もあるし、迷ったり、一瞬不安になり、はっきりと決めかねたまま(疑)1打を放っていたりする。
これを仏教では「五つの束縛」と言う。俗世界の欲の塊、煩悩のことだ。なんとゴルフは、見えや欲の塊を断ち切れないゲームなのだろう。われわれアマチュアゴルファーばかりでなく、プロゴルファーだって、同じである。ホールアウトしてインタビューすると「タラレバ」のコメントが必ず出るものだ。
もう30年以上前に、ジャンボ尾崎がマスターズに出場して、1打差で予選落ちしたことがあった。1974年だったと記憶している。そのとき「あそこのアプローチで、あと10センチ前に落ちていれば………」などと、どうしても悔いが残るシーンを説明し始めた。それを18ホール聞かされて、まだ若年だった僕は、なんだか無性に寂しくなってしまい、「要するに、1打差で予選落ちしたのは、何が足りなかったんですか?」と聞いてしまった。まずかったかな、と思ってももう遅い。
ジャンボの表情が一瞬変わった。少し怒りがあったのだろうか、と思えた。でも、次にジャンボは、うなるように腹の底から声を出した。「要するに、実力が足りなかったんだよ。」
その答えを聞いて、僕は、この人はもっと強くなるなと思った。その年、賞金王に輝いたのはいうまでもない。
青木功が、その当時、よく「シャンメェ」という言葉を使った。「仕方がなかったんじゃないか。」という意味だ。「あそこでダボたたいてよ。でもシャンメェだろ。」というニュアンスである。
これは、ある意味凄い言葉だと思った。思考停止。この言葉で、思考を停止させて後悔する自分を出さない。断ち切る。切り替える。そのキーワードだった気がする。煩悩は誰にでもある。でも、煩悩に縛られるのではなく、捨てる手だてを編み出したわけだ。
ジャンボがスランプに陥っていた時期。1980年代前半の5、6年のいつの頃だったか忘れたが、「スイングを感覚、感性でとらえようとするから悩むんだ。理性、つまりメカニズムとしてとらえれば、心の動揺がスイングに影響されない。」と言っていた。
あ、工夫したな、と思っていたのは、アドレスからテークバックするきっかけだった。静止状態から動へとスイッチが、いちばん難しい。ならば、手で上げないようにするには、どうしたらいいのか。胸や手より、もっとも遠い場所、左足母指球に神経を置いて、そこをねじり上げるようにすることを始動スイッチにすれば、手は敏感に反応しないで、上体のひねりでバックスイングできる、という発想だった。これも五つの迷い、煩悩の束縛を断つ方法だったのだろう。
「五つの束縛を断て。五つの束縛を捨てよ。さらに五つのはたらきを修めよ。五つの執着を超えた修業僧は{激流を渡った者}とよばれる。」(法句経)五つのはたらきとは、信念、信じること。精進すること。禅定(心静かにすること)。智慧はたらかせること。思念することだ。そして修業僧とは、われわれゴルファー、激流を渡った者とは、上達したシングルゴルファーと置き換えると、まさに上達のヒントがこの一節に隠されているように思える。
―――「昌鳳和尚のゴルフ講話」より
(神奈川県・法勝寺 三田村昌鳳師 元週刊アサヒゴルフ編集長)