自分でゴルフをしていて、やはり煩悩の塊から抜け出せないな、と思うことがしばしばある。仏教語でいう「雑染としたプレー」をしてしまうのである。雑染とは、うまく漢字を重ねたと思う。雑に染まる。つまり煩悩の汚れを意味する言葉だ。
今になって、「おまえ、坊主だろ?なんでそういうゴルフをしてしまうの?」
と、夜の居酒屋で中部銀次郎さんに、からまれたことが身に染みてくる。
ゴルフ場である朝、「練習場で3球だけボールを打たせてくれ」と言って練習場に中部さんが行ったことがあった。そして、「わかった。さあ、行こうか」とスタートホールに向かった。
実は、ホールアウト後に分かったことだけれど、この日、中部さんは風邪で熱があった。
「だからひょっとしたら18ホール持たないじゃないかと心配していたんだ。回れてよかったね。」と言った。そして朝の3球のことを聞いた。「うん。自分の(熱があってフラつく)体調で、どんなボールが出るのかチェックしておきたいと思ってね。」
つまり、今日の自分の体調ならば、こういう球筋やミスが出るということを理解して、それをあえて矯正しようとしない。
もともと体調が悪くて、その体に合わせた球筋が出るわけだから、直しようがないというのが中部さんの考えだった。これも、その日の自分によってゲームマネジメントを考えることだと思う。
「自分を知って、いま自分ができる最大のことをやった結果でいい。それが中部さんのゴルフだったと思う。肉体的に恵まれていたわけじゃないし、球が飛ぶわけじゃないし、何かに突出していたわけじゃないけど、その考え方を貫くすごさで、アレだけの記録を作れたと思う。」
と湯原信光が、そんな中部さんを解説してくれたことがある。「当たり前のことを、当たり前にやる。」というのが中部さんの持論だった。「当たり前のことに徹して何十年もやってきたってことがすごいんですよ。僕もどっかで心の中に見えが出て、今の自分ならできると思ってやって完璧だと思っても、“今のダメ。ヘン”と言われたりした。でも今思えば、それが大きなヒントだった。」と湯原は話を続けた。マリナーズのイチローと似ていると思った。
「ゴルフは20%の力学と、残り80%は、知性、教養、会話、悲劇、喜劇、友情、恋愛、ヘソ曲がり………」という言葉がある。
こう悟るまでには、まずは練習を積み重ねることなのだろうか。僕には、こんな法句経の言葉がにあう。「心が安住することなく、正しい真理を知らず、信念が汚されたならば、、悟りの智慧は全うからず。」
そして熟達したゴルファーには、こんな言葉が似合うのだろう。
「心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目覚めている人には、何も恐れることが無い。」
いずれも法句経なのだが、恐れること、イコール、煩悩や見えが混在する「雑染としたプレー」なのだろう。嗚呼!
―――「昌鳳和尚のゴルフ講話」より
(神奈川県・法勝寺 三田村昌鳳師 元週刊アサヒゴルフ編集長)