ゴルフがうまくなるには、どうしたらいいのか、という素朴な問いかけを、誰彼となく聞いたことがある。その中で僕が一番肝に銘じているのが、中部銀次郎をはじめ多くのトップアマに技術を教えた故・鍋島直要の言葉だ。
「1日30分ゴルフについて考える。週に1回、練習場に行ってボールを打つ。できればコースに行けるともっといい。ライバルをつくる。そして知恵を使えば誰でもハンディ6にはなれます。」でも、なかなか時間がなくて練習に行くということができない。スイングは、筋肉と体に覚え込ませなければならないから、反復練習が不可欠である。それをせずコースに出て「うまくいかない」と落胆しながらプレーするのが、我々アマチュアゴルファーだ。
トレビノではないけれど「歩けない、まだ、這って前へ進むことしかできない赤ん坊に、いきなり走れと言っているのと同じだろ。そういうゴルフをみんなやっている。」という言葉になる。例えば、週1回。300発ボールを打つ。それを53週繰り返す。すると、およそ1万6000発のボールを打つ計算だ。それを5年繰り返しただけでも、ざっと8万回ショットしたことになる。勿論プロゴルファーには及ばないけれど、それだけでも肉体に記憶させるチャンスが増えるわけだ。
石川遼が、トーナメントで果敢にドライバーショットで攻めていける自信は「練習量」だと言った。「誰よりも多く、誰よりもおろそかにせず練習し続けた。」という自信である。石川遼が、8月の全米プロで、こんなことを言っていた。「全体的な量っていうのは変えずに、これからはアプローチをやはりもっと増やしていきたい。これを、この練習よりこっちの練習っていうんじゃなくて、今まで通りの練習の内容の中に、プラスアルファーで、アプローチの練習を取り入れていきたいっていうのを、本当に強く思っています。」そして、さらにこう話を続けた。「考え方によってはひとつのミスショットも忘れようとするのか、これがいい経験になるんだから次に生かそうとするのかで、考え方ですごく変わるほど、経験値って違うと思う。」
つまり、ミスショットを放っても、同じミスを繰り返さないという収穫であり、ナイスショットをすれば、もっと確実性のあるものを見出すきっかけとなる収穫だというのである。これは陰の練習を繰り返し続けている選手の言葉だと思う。
島田幸作(故人)は、「誰かが、必ずどこかで見ているんだ。だから手を抜いた練習は絶対してはいけない。」という先輩の教えをずっと守り続けて練習したという。そして、試合でライバルたちに自分が持っていない技術を見せられると、すぐにそれをマスターしようと練習した。
「そして次の試合で、その相手と一緒に回ったときに、何事もなかったように、サラリとそのショットをやって見せるんです。このときは気分最高ですよ。」と語った。さらに島田はこう言った。「だから、僕は練習がちっとも苦しいなんて思わなかった。人生の戦いは、常に強い人、速い人に分があるのではない。いずれ早晩、勝利を獲得する人は、“オレは出来るんだ”と信じている人だと思っています。」
ジーン・サラゼンの言葉で、「1打の奇跡的なショットを生むためには、日頃からそれなりの準備(研鑽、練習、努力)が出来ている。」と偶然の産物はないと言っている。
“陰徳あれば、陽報あり”という言葉は、日蓮聖人が残したものだ。陰ながらの徳行は必ず報われる。陰徳は果報の来る門口であるという意味だ。
ゴルフの陰徳とは、練習とゴルフについて考えること、そしてライバルをつくって目標にすることだと思う。
―――「昌鳳和尚のゴルフ講話」より
(神奈川県・法勝寺 三田村昌鳳師 元週刊アサヒゴルフ編集長)