「団塊の世代」という言葉を産み出したのは作家の堺屋太一氏である。その堺屋太一が文芸春秋(2006/11月号)に標題の論文を寄稿している。読まれた方も多いと思うが非常に示唆に富む力作なので要約して紹介する。
国家とは、国民全体の幸せの最大価値を求めるものです。大多数の国民が求める「幸せのかたち」が分からなければ、国家の方針も決められません。ところが今、団塊の世代という大きな人口の塊が定年を間近にして、これからの「人生の秋」をどう過ごすべきか、そして最終的な幸せのゴールとは何かを考えた時、明確な答を出せない人が多いのではないでしょうか。
平成の時代になって既に18年余、この間の11人の首相は、いずれも改革を旗印にしてきました。
竹下登内閣は、首相自ら「われ辻立ちしても衆に説かん」という意気込みで改革に臨み、消費税を導入しました。細川護熙内閣は小選挙区制度と政党助成金の二本柱で政治改革を断行しました。「改革に火の玉になる」と意気込んだ橋本龍太郎内閣は、結局行政改革という省庁再編を実現するだけで終わりました。小渕恵三内閣は「静かなる大改革」も目指して、金融の自由化や会社法、労働関係法の大改正を行なって経済再生を果たしました。森善朗内閣もIT振興法を成立させるなどIT立国を目指しました。
そして小泉純一郎内閣は、高速道路や郵政事業の民営化を実現しました。しかし、この内閣が果たした最も大きな功績は、職域団体や職能団体の政治に対する影響力を排除したことでしょう。つまり、職業職場で繋がる「職縁社会」と政党政治との関係を断ち切ったのです。この結果、自民党的族議員が排除され、職域利権に関わりないと思う人々の喝采を浴びました。だが現実は、政治家を排除して官僚独裁の政治構造を確立することになっています。また新しい安倍晋三内閣が発足しましたが、この政権が何をどうしようとしているのか、まだ分かりません。だが、その間に、国民の大きな部分を占
める団塊の世代が定年を迎え、人生の新局面に入ることは確実です。これからの一千日のうちに、日本はこの国と社会」の目指すべき全体像を描き直すことが必要なのです。
「日本人の幸せとは何か」ということが明らかになれば、それを実現するために何をするべきか、も自ずと見えてくるでしょう。問題は、この国の人々の「「最終的な幸せ」のかたちが見えていないことです。これでは国も、社会も、なすべきことが明確に出来ません。その時々に一部の人々の要求に押されて、右往左往するばかりでしょう。「目的目標を持たない社会」それは「亡国の荒世」といわねばなりません。